異人さんに連れられ、何も分からないままにやって来たアメリカ生活最初の年の1995年7月某日。
真夏の砂漠地帯では、その日もいつものようにピーカンで雲ひとつない空だった。
新妻の専業主婦だった私は、今では考えられないほどゆったりとした生活を楽しんでいて、朝7時半に家主を仕事に送り出した後、
大好きなヘーゼルナッツフレーバーのコーヒーをマグカップにたっぷり注ぎ、英語の勉強と言う大義名分を掲げてお気に入りのFOXニュース番組「GOOD DAY L.A」を見ながらソファでのんびりと静かなひとときを送っていた。
キャーキャーうるさいホストのお姉さんたちのトークを1時間ほど見たころだったろうか、私は左の横目に何か黒い物がす~っと動くものを見たような気がした。
すぐには何とも思わなかったけれども、前を向いてみていると
「スーーーッ。」
また前を見ていると「スーーーーっ」と何かが通るのを感じるのだ。
何度も繰り返されるものだから気になってポーチへ出てみると、
庭先のフェンスの向こう側を一匹の痩せこけたクロネコが、
「にゃぁ~にゃぁ~」と小さな、そして寂しそうな鳴き声を上げながら通りすぎていった。
いってしまったかと思うと、また横切り、しばらくするとまた横切って、
何度も何度もこちらの様子をうかがう様に行き来しながら、哀しい声で鳴いていた。
うむむ・・・。猫といったらほっとく訳にはいかない。
私は子供の頃からそうだった。
すぐさま外へ出てフェンスのドアを少し開け「にゃ~ん」と一声掛けてみると、
その猫はトコトコと何のためらいもなく私のほうへ近づいてきた。
この乾燥しきって荒れ果てた高地砂漠地帯には、ボブキャット以外の飼い猫のような野良は存在しないはずなので、きっと以前はこのハウジングに住んでいた誰かに飼われていていた猫なのだろう。
とても人なつこく私の足元にとぐろを巻くようにくっついまわり離れようとしない。
近くで見るこのノラネコの外見は見るも無残な姿だった。
毛色は黒だろうにすっかりすすけてグレーに変わり、毛並みもぼろぼろ、
痩せこけていて目だけが異様に大きく感じられる。
猫はそのちょっとエイリアンチックな顔でじっと私を見上げ、
そして相当おなかが空いているのか、何度もくるくると私の足元を回っていた。
「ごはん、何かあげなきゃなぁ。」
そうしたいのは山々だったが、
差し入れをして居着かれては困るのだった。
いや、いてくれると私はすごくすごく嬉しいのだけど、家は借家だし、
何しろ家主は猫は嫌いである。
どう考えても飼ってもよいというお許しが下りるとは思えないのだ。
「困ったなぁ・・・」私はしばし考え込んでしまった。
彼は足元から相変わらず物欲しげな「何とかしてよぉ~。」といわんばかりの眼差しでこっちを見つめている。
「う~~~~~ん。ちょっとだけなら、いいかな~。」
猫に根負けしたというか、ネコと見ると押さえがきかない性格も手伝って
1度だけキッチンでゴハンをあげることにした。
リビングの窓を少し開け「こちらへどうぞ。」と促すと、
猫はまるで勝手知ったる人の家、とばかりにとっととキッチンへ走っていった。
取りあえず、そのとき彼が食べられそうなのはパンとミルクしかなかったので
パンは小さくちぎって、ミルクは少し温めて彼の前においてみた。
やせっぽちな猫はすぐにハグハグとそれらをむさぼり始め、
ハグハグ、ハグハグ、何日も食べ物にありついていなかったのか
お皿の周りをぐちゃぐちゃに汚しながらあっという間に平らげてしまった。
そのあとの、なんというずうずうしさ!
彼は床にねっころがって毛繕いなど始めていたのだ!
オイオイ、一食もらえたら、ここはもう君の家かい!?(笑)
おなかいっぱいになったからなのか、
さっきまでの物欲しそうな目つきは消え、ごろんとくつろぐクロネコ姿に、
この子とこれから12年もの生活を共にするとは、みじんも思わなかったのであった。