にゃんにゃんの行き先1

にゃんにゃんの行き先1

 

1999年一月、約四年半を過ごしたこの土地とお別れする時がやってきた。

 

家主の仕事で、日本への転勤が決まったのだ。

 

「あぁ、これで美味しいものがおなかいっぱい食べれるぞ~!」

 

私も結構喜んだが、日本ダイスキの家主はもっと浮かれまくっていた。

 

 

私達は珍しく仲良く、あ~でもない、こ~でもない。と移転後の事や引越しのことを話し合っていたが、ひとつ重大な問題があった。

 

 

にゃんにゃんをどうするか?ということである。

 

 

私としてはそりゃぁもう、絶対一緒に行きたい。

 

 

でも引越し後の日程や、沖縄へついてからの彼の預け先などを色々検討していくうちに、にゃんにゃんを連れていくことは事実上不可能な事では無いかという結論に至った。

 

 

どう考えても、預け先などが見当たらない。

 

 

 

私の実家に預ける、と言う手も考えたがウチの両親は大の猫嫌いである。

 

特に父親なんかは昔飼い猫に向かって「おまえには悪魔がついている!」と
真剣にフォークを振り上げたような人だ。

 

恐ろしくてそんな人には預けたくない。

 

 

というか、その前にどうやってこの猫を送るというのだ?

 

 

 

何としても日本へ連れていきたい。様々なアイディアを巡らせ、
私達の一案の中にアニマルシェルターに預ける、という話が出た。

 

ここは読んで字のごとく動物の避難所、つまり飼い主が何らかの事情で飼えなくなった動物たちや
捨てられた動物たちを保護しするところである。

 

動物たちはある一定の期間そこでお世話をされており、動物を飼いたい人達が見に来て気に入れば、お金を払って譲ってもらうシステムになっている。

 

このお金とは彼らの避妊手術、去勢手術代なのであった。

 

そしてここで働いている人達はみんなボランティアで、
みんな真剣に里親探しに取り組んでくれている。

 

 

だかしかし世の中に飼い主のいない動物はごまんと発生しているのが現状だ。

 

 

そしてこうしたボランティアで成り立っている施設は慢性的な経済難であり、増え続ける動物たちをいつまでも保護しお世話を続けることは難しいようだ。

 

だから結果的に上に書いたように「ある一定の期間」の保護となってしまう。

 

その後の彼らの行方は、誰もがわかっていることだろう。

 

 

 

私はココロから愛する彼をこのシェルターに預けることなど到底出来なかった。

 

 

彼はもう御年9歳程度、それにお世辞にも可愛いとは言えないし、なんたってすぐ噛むクセのある厄介モノだ。

 

子供のいる家庭ではまず無理だし、
なにしろわざわざ年より猫を飼おうという物好きもそうそういるとは思えない。

 

落ち着いているという理由でたまにそう言う年より猫を欲しがる人がいるそうだが、
にゃんにゃんは抱っこもさせてくれないわがまま猫なのだ。

 

 

 

だから、私はその案には思いっきり反対だった。

 

 

そんなみすみす先の見えたようなことは耐えられない。

 

つづく